カテゴリ:生石神社について( 9 )

黒田官兵衛

黒田官兵衛

人は殺すよりも使え・・・ 黒田官兵衛は戦国乱世にあって一風変わった男であった。
生涯50数度の合戦で一度も負けを知らなかった戦の天才だが、槍や刀で人を殺すのではなく、知力で敵を下す、それが官兵衛の真骨頂であった。

権謀術渦巻く戦国時代にあって巧みな弁舌と、軍略秀吉を支えた冷徹な軍師である。
幾度も裏切られ痛い目を見たが官兵衛は決して人を裏切らない正直者であった。
だから敵は彼の言葉を信じ、説得に応じたのである。

中国方面の軍事司令となったとき、播磨の武将たちを説得して回り、勧降工作で活躍していた。
秀吉が三木城攻略のおり、神吉城も落とさんとして、生石神社を陣所に貸与せよとの官兵衛の申し出に対し、兄の城を攻めるのに陣所には貸さぬ。と最後まで拒否した。
そのため、秀吉の怒りに触れ、神社は焼けうちにあった。今もその時の火の勢いで石が赤く焼けただれ、弾けているのが解る。
秀吉に焼かれ、戦利品として鐘楼は持ち去られ」、のち、関ヶ原の戦いに西軍石田光成の勇将、大谷刑部吉隆が陣鐘として使用した。敗戦の結果、徳川家康が戦利品として、美濃国赤坂の安楽寺に寄付。
現に大垣市の指定文化財として保存され、鐘の表面に生石神社の銘が刻まれている。

現に生石神社の山頂から姫路城の天守が望め、播磨平野・播磨灘等、高砂市を一望出来る唯一の場所である。明石城でのろしを上げ、當神社で受け、のろしを上げ姫路城へと連絡網に使われていた。

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黒田官兵衛の言葉に、

『人に媚びず、富貴を望まず』

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一度決めたら絶対に心を揺るがさない播磨人の気質が伺えます。
神吉城主の奥方の末裔が奇しくも今、生石神社の禰宜として神社をお守りしている。
一族の墓は海を見下ろす小高い丘にある。

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by oushikojinja | 2013-03-05 07:28 | 生石神社について

蛙股

綺麗な枡組
これを蛙股と言います。

社寺建築で荷重を支えるための部材で、
下方が開いて蛙の股の様な形をしているのでそう呼ばれています。
後に、全国的には装飾用になったようです。

生石神社の蛙股は他社を超える美しさです。
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by oushikojinja | 2011-09-14 17:17 | 生石神社について

祖霊社

最後になりましたが、一番奥が祖霊社です。

《御祭神》
先祖の霊魂

宗派に関係なく自分の先祖を礼拝出来ます。

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平成24年春のお彼岸に祖霊社の祖霊祭りを齋行いたします。
詳しくは後日お知らせいたします。
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by oushikojinja | 2011-09-06 13:11 | 生石神社について

琴平神社

恵比寿神社の奥隣りが琴平神社です。

《御祭神》
大物主神
(おおものぬしのかみ)

*海上安全・漁業大漁の神*

海の神様で、四国の琴平神社の御分霊です。

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by oushikojinja | 2011-09-04 13:46 | 生石神社について

恵比寿神社

加志磨神社の奥にありますのが恵比寿神社です
《御祭神》
事代主尊
(ことしろぬしのみこと)

*海上安全 商売繁盛の神*

皆さんえべっさんでご存知ではないでしょうか?
商売繁盛で知られていますよね。


生石神社では、毎年『えべっさん祭』を行っています。
是非ご参拝ください。

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by oushikojinja | 2011-09-02 16:55 | 生石神社について

加志磨神社

四社殿の一番手前が加志磨神社です。

《御祭神》
武甕槌神
(たけみかづちのみこと)

*武運長久・平定平安の神*

受験・スポーツなど必勝祈願・家内安全や国家平安祈願の神様です。

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by oushikojinja | 2011-09-01 16:18 | 生石神社について

四社殿

本殿の北側に四社殿があります。

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次回からこちらの四社殿を、
一社殿づつ紹介していきたいと思います。
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by oushikojinja | 2011-08-29 16:33 | 生石神社について

絵馬殿

絵馬殿です。

ここでお月見。。。

最高です^^a0225613_16265695.jpg
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by oushikojinja | 2011-08-29 16:27 | 生石神社について

はじめまして

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兵庫県高砂市にあります生石神社です。
このたび、BLOGを開設いたしました。
神社での日々を綴っていきたいと思います。




生石神社の御由緒の紹介

日本三奇石乃寶殿 鎮の石室(いわや)とは

神代の昔大穴牟遅(おおあなむち)少毘古那(すくなひこな)の二神が天津神の命を受け国土経営のため出雲の国より此の地に座し給ひし時 二神相謀り国土を鎮めるに相應しい石の宮殿を造営せんとして一夜の内に工事を進めらるるも、工事半ばなる時阿賀の神一行の反乱を受け、そのため二神は山を下り数多神々を集め(当時の神詰現在の米田町神爪)この賊神を鎮圧して平常に還ったのであるが、夜明けとなり此の宮殿を正面に起こすことが出来なかったのである、時に二神宣はく、たとえ此の社が未完成なりとも二神の霊はこの石に寵もり永劫に国土を鎮めんと言明せられたのである以来此の宮殿を石乃寶殿、鎮の石室と構して居る所以である。

鎮の石室(通称、浮石)の容姿と工程

鎮の石室は三方岩壁に囲まれた巨岩の殿営で池中に浮く東西に横たわりたる姿である。その容積は三間半(約七㍍)四方で棟丈は二丈六尺(約六㍍)である。この工事に依って生じた屑石の量たるや又莫大であるが、この屑石を人や動物に踏ませじと一里北に在る霊峰高御位山の山頂に整然と捨て置かれて居る。池中の水は霊水にして如伺なる旱魃に於いても渇することなく海水の満干を表はし又万病に卓効有るものと云われて居る。

生石(おうしこ)神社の創建

人皇十代崇神天皇の御代(西暦九七年)日木全土に悪疫が流行して人民死滅の境にある時、ある夜二神が天皇の夢枕に現れ「吾が霊を斎き祭らば天下は泰平なるべし」とのお告げがあり依りて此所に生石神社が創建せられたのである。以来忽ら悪疫も終息して天下泰平となる。

神社の分霊

人皇十三代成務天皇十一年〔約一九〇〇年前〕に當生石神社の分霊として羽後国飽海郡平田村生石〔現在山形県酒田市大字生石〕より勤請せられ現在古色豊かに生石神社として栄えて居り當社の分霊として親善の交流を続けて居るのである。

神社の梵鐘

天正七年(西暦一五七九年)羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が三木城攻路の折神吉城も落さんとして當神社を陣所に貸与せよとの申出に対し、兄の城を攻める〔時の宮司は神吉城主の弟〕陣所には貸さぬと拒否したるため、秀吉の怒に触れて焼き撃に逢い、そのため神社伝来の凡てが一瞬にして灰燼に帰したのである。その時焼け残った梵鐘は持去られ、後日関ヶ原の戦に西軍石田三成の勇将大谷刑部吉隆が陣鐘として使用したるも、敗戦の結果徳川家康が戦利品として美濃国赤坂の安楽寺に寄附し、敵将ながらも実に惜しむべき武将であると慨嘆し、朝夕此の鐘を撞いて未来永劫に吉隆及び戦者霊を慰さめよとの事であったと云われて居る。現に大垣市の指定文化財として保存せられ鐘の表面には當生石神社名が刻銘さる。
(日本三奇とは當社・石乃寶殿(石)、東北地方塩竃神社の塩竃(鐡)及び九州地方霧島神社の天乃逆鉾(銅)を謂う。)

万葉集巻三

大汝少彦名乃将座志都乃石室者幾代将経(大なむち少彦名のいましけむしづのいわやは幾代へぬらむ)

世をへても朽ぬいはほのなかりせばかみ代のあとをいかてしらまし

うこきなき御代のしるしと神さひて幾としか経しこれのいはむろ

うこきなき御代よろずよの宝とていしのみやいはつくりけらしも

みるからに尊かりけりはりまなる志都のいわやは神のふるさと
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by oushikojinja | 2011-08-09 18:57 | 生石神社について